ゆうまるらいふ

悩めるサラリーマンの頭の中

コロナ禍が一般サラリーマンの生活を変えたもの

コロナ禍が一般サラリーマンの生活を変えたもの

コロナ禍が終わりを迎えようとしている

日本では2020年から続いたコロナ禍。とうとう5月から新型コロナウイルスが感染法上の分類が5類に引き下げられ、3月13日からはマスク着用が「個人の判断」が基本になった。

www.asahi.com

とは言ってもマスクが個人判断になって約1か月が経つが、まだほとんど生活に変化は感じていない。街中でもマスクを着けている人がほとんどだ。僕もまだこの空気感の中マスクを外す勇気は無く、花粉症を言い訳に未だ外出時はマスクを着用している。もしマスク警察に面倒くさく絡まれた場合は「花粉症なんで」と堂々と言い訳が出来る。実際そうなのだから。でも花粉症の時期が過ぎたら何と言い訳しようか。

会社も未だ様子見と言った感じで、マスク着用義務解除や食堂のパーティション解除はまだなんの音沙汰も無い。まあ会社と言うものはそんなもんだろう。飲み会や県外への旅行を規制するのは早いのに、緩和するのは遅い。実に日本らしい会社である。

 

まだコロナ禍の終わりが見えたようで見えない状況ではあるが、確実に終わりへと向かってはいる。3年も続いたコロナ禍。本当に長かった。「こんな生活いつまで続くんだろう」とよく話していたが、まさかここまで長引くとは思いもしなかった。

コロナ禍に入ったばかりの頃は、緊急事態宣言が出て不要不急の外出自粛。休みの日にどこも行けず、楽しみにしていた友達と参加するはずだったイベント、奥さんとの旅行が無くなったのは本当にショックだった。

 

ここ最近になるまで、特にコロナ禍に入って1年くらいは「コロナに罹ったら終わり」とまで思わせるような雰囲気だった。コロナに感染して重症化した人、後遺症が残る人がニュースやSNSで取り上げられ、毎日「今日は〇〇県で何人超え」とコロナ感染者数の報道。自分や家族にそんな症状が出るのも怖かったし、何より感染すれば周りからどんな目で見られるか分からず毎日不安を感じながら生活していた。

それが次第に職場や身近な人が変わりがわりコロナに感染しだすと徐々に恐怖心も薄れ、みんな徐々にコロナ禍の生活に慣れていった。

 

コロナ禍になってから変わったこと

コロナ禍の様な誰も想像し得なかった状況を経て、普段の生活や将来に対する考えが変わった人も多いだろう。こんなごく普通のサラリーマンである僕もコロナ禍になってから変わったことがある。

 

大きく変わったのは将来についての考え方だ。コロナ禍で経済の流れがストップし、多くの企業が苦労したことと思う。特に飲食店や旅行会社、航空会社などは大打撃を受けた。僕の会社も例に漏れず業績悪化でボーナスが下がり、今だ業績が戻らずボーナスは下がったまま戻らない。正直ボーナス減は痛い。どんな仕事でも、大きな会社でも何が起こるかは分からない。終身雇用が破綻した現代、将来の不安をさらに感じるようになった人は多いだろう。コロナ禍に入り、以前よりも投資や副業の話題がSNSで多く取り上げられるようになった。

僕もコロナ禍に入ってから、本格的に資産運用を始めた。もし将来何かあって仕事を変えなきゃいけなくなった時、ほぼ確実に年収が下がる。今後家族が増えたら、贅沢する余裕が無いかもしれない。そんな時、配当や売却益でお小遣いや生活費の足しに出来ればどれだけ楽か。もともとは少額でお小遣い稼ぎにと始めた株式投資だったが、将来に備え大きく舵を切った。

副業も模索して、雑記ブログを始めてみた。結局ほとんど趣味になってしまったけれど。もしコロナ禍になっていなかったら、まだ資産運用をしていなかったかもしれない、こうしてブログも書いていなかったかもしれない。将来の仕事、お金、価値観についてここまで考えていなかっただろう。コロナ禍をきっかけに20代のうちにこれらを考えられるようになったのは、数少ないコロナ禍になって良かったことの一つだ。

 

コロナ禍で生活が変わったこと。多くのサラリーマンに当てはまることといえば働き方の変化だろう。テレワークという選択肢が増え、僕の友人にも今ではほとんどがテレワークで月に数回しか出社しないという人がいる。ただ僕はテレワーク可能な仕事内容では無い為、テレワークはしたことは無い。憧れはあるが、自分は会社でないとやる気や集中力が続かなそう人間なので「まあいいか」と考えている。

テレワークはしていないが、会議や教育がteamsやzoomに置き換わってきたのは大変便利になった。重要度の高いものは対面での会議がやはり効率が良いが、重要度の低い教育や説明会などは会場や会議室に出向く無駄な時間を短縮でき、さらに録画も出来る為いざという時に見返したり、伝達教育が容易になった。テレワークやWeb会議もコロナ禍をきっかけに一気に浸透した文化だ。頭の硬い上層部を強制的に動かしたコロナ禍に感謝している人もいることだろう。

コロナ禍のその後

みんながマスクを着けなくなり、飲食店のパーティションやアルコール消毒などが完全になくなるのはもう数ヶ月はかかるかもしれない。外出する時、一日中マスクを着けていない感覚ってどんな感じだっただろうか。もうマスクと肌が擦れて嫌な気分になることが無くなるのが嬉しい。多分、そういうマスクの煩わしさが無くなってスッキリするんだろう。でも逆にそのスッキリさが、最近太り気味なこの顔を隠してくれる秘密道具が無くなると、しばらく恥ずかしく感じるのかもしれない。

 

数年後、数十年後、この3年以上に渡った世界的なパンデミックを、生活の変化を、どんな気持ちで振り返るのだろうか。コロナを経験しなかった世代は、令和というごく最近の年代に、こんな過去があったことをどう思うだろうか。

間違いなく言えることは、このコロナ禍で僕の考えや行動は良い方に変わっていった。ただその分我慢を強いられ、辛い思いもした。数年後、僕はこのコロナ禍をどんな気持ちで思い返しているのだろうか。