久しぶりに会社の飲み会があった。コロナ禍があってすっかり飲み会自体も減ってしまったので、たまに飲み会が入ると「若い頃はよく飲み会に行ったなあ」となんだか懐かしく感じる。
会社の飲み会となると、やはり仕事の話になることも多い。きっかけは忘れたが仕事のモチベーションの話になった時、同期が「俺は適当にやり過ごして仕事が終われば良いかな」と言った。その発言に、少しモヤモヤしてしまった。
ちょうど今自分が新たなプロジェクトを任されたり、役職が変わったりして必死に仕事をしている最中だからだろう。確かに僕もモチベーションが無くなってそう思っていた時期もあったから、その同僚の考えが悪いとか、許せないとか言うことでは無い。
しかし自分もそんな時期もあったものの今では頑張らなければいけない立場になり、環境が変わり、モチベーションが実際上がったのかそう思い込んでいるだけなのかも分からないままに必死にもがいている今、そんな発言を聞くと「はたして本気で仕事に取り組むのは幸せなのだろうか」と考えてしまう。
成果を出して認められたい、それなりに出世したいと仕事に本気で取り組む人と、ただやり過ごして給料を貰えれば良いと考える人、どちらが幸せなのだろうか。令和では後者の方が支持されるのかもしれない。
まあ極端に働く・働かないでは無く、程よく頑張るのが一番良いんだけど、そうして自分なりにマイペースに仕事を頑張っているうちに上に摘み上げられてしまった。
僕は重たい責任は負いたくないからそんなに出世したいわけでは無いけど、職場では認められたい。そのためには頑張って成果を残して、必然的にそれなりには出世する必要がある。尊敬する先輩がいて、あの人のようになりたいと背中を追い、年が近い先輩後輩に負けてられないと努力する。
そんな気持ちで仕事をしていると、やはりいろいろと辛い場面が出てくる。周りを気にしすぎて勝手に落ち込んだり、頑張っていると色々と仕事を振られて責任を負わされる。結果的に責任を求める行動をしているのに、いざ責任が舞い降りて来るとこれまたストレスがかかる。
残念なことに、僕の仕事は「頑張りすぎる人が損をする」仕事だ。仕事が出来る人、頑張る人には仕事が回って来るけど、ほとんど年功序列の昇給。大きい会社だとそんなデタラメな人事制度になってしまう。そんな理不尽な状況にモチベーションを上げれない人はやはり一定数出てきてしまう。
そんな会社で必死に頑張っていると「自分は損をしているのではないか」と考えてしまう。僕が今必死にもがいている中で、ただやり過ごすようにダラダラと仕事をする人は一定数いる。そういう悪い人ばかり見ていると必死にやっている自分がバカらしく思えてしまうけど、同じ立場や上を見上げるともっと努力していて尊敬出来る人がたくさんいる。
周りを見て自分の業務の遅さや実力の無さに落ちこんだり、この仕事が向いていないなと思いつつも僕は「働くこと」自体は嫌いではないので、頑張れているというのもある。誰かが頑張らないと会社というものは回らないし、職場は良くならないのだ。それが働くということだ。本気で仕事に取り組むことを正当化するには、そんな綺麗事しか出てこない。もっと劇的に給与面で差が出れば良いんだけど、手当は出るけど見合ってない。
とはいえここでいくら嘆いても、目の前には溢れんばかりの仕事があるので本気で仕事に取り組むしかない。別に転職したいという話ではないから、結局環境が変わらないのであれば綺麗事でもなんでも良いから自分に言い聞かせて仕事を楽しんでしまうしかないのだ。そう思いつつも、おそらくずっとモヤモヤし続けるだろう。