ゆうまるらいふ

悩めるサラリーマンの頭の中

文庫本の『解説』で初めて腑に落ちた

小説を読んだ感想を言葉にするのって難しい。ビジネス書であれば自分の悩みをもとに、読んでみて学んだことをつなげて言葉を書けば最低限それらしい文章が出来る。しかし小説の感想となると、とたんに難易度が上がる。

この物語に出てくる登場人物はこういう人間で、こんな感じで物語が進んでいって、作者はこれを伝えたかったのだ、と自分なりに咀嚼し相手に伝える文章にしなければならない。

僕は小説の感想を言葉にするのが苦手だ。どのジャンルの小説を読んでもだいたい出てくる言葉は「面白かった、微妙だった、すごかった」と子供のような感想しか述べることが出来ない。

 

そんな僕だが、最近湊かなえの『母性』を読んだ。

今回この『母性』を読んでも「なんだかすごい本を読んだな」という感想しか出てこなかった。

はじめの方はおそらく母よりも娘視点の話が真実で『歪んだ母性』を持った母親の話なのかなと思って読んでいた。しかし時折お互いの本心、感じ方にすれ違いが見られ「どうやら娘がすべて正しいとは言い切れないぞ」と思いつつも物語は終わりへと向かっていく。

特に最後「母視点の娘を抱きしめた」と「娘視点の母が娘の首に手をかけた」ではさすがに大きく違ってくる。結局最後までどちらが正しいのかもはっきりとしない。ただ分かるのは、最後は親子2人が幸せであることだけだ。

 

読み終わった後「なんだかすごい本を読んだな」と呆然としつつも、正直よく分からずにスッキリとしない気分でいた。

文庫本には最後に『解説』が書かれている。僕は今までこの『解説』は流す程度に読んでいたくらいで、あまりしっかり読むことは無かった。

だが今回、解説の出だしにある『信用できない語り手』という言葉が、僕のこの読み終わってもなんだかスッキリしない気持ちを晴らしてくれた。そうだ、これは信用出来ない語り手同士の物語だったのだ。どうりで最後までスッキリとしないわけだ。物語を作っていた語り手のどちらも、自分視点での考えの偏りが強過ぎてどちらが本当に正しいのか読者にははっきりとは分からなかったのだ。

僕はこの『解説』を読んで、初めてこの小説を読み終えた気がした。そして信用できない語り手達だけで物語を作る作家のすごさを改めて感じることが出来た。

 

物語の内容をしっかりと読み取り、解説がかける人はすごい。自分も小説を読んで感じたその小説の良さ、感じたことを言葉に紡いで伝える力が欲しいと思うようになった。1人のブログを書く人間として、自分のブログで、自分の言葉で小説の良さを伝えられるように。自分も少しずつ挑戦していきたいと思う。