またこいつがやって来た。
ちょっとしたことで落ち込みやすく、自己嫌悪に陥り、自分のことが嫌になってくる時期。
そう、萎え期である。
今回初めて?(覚えてないだけかもしれないが)「あ、萎え期に突入したかも」と感じる瞬間があった。
3日ほど前、仕事でちょっとしたミスをしてしまった。
特に大事になったわけではなく、少しヒヤリとした程度。
ただその原因は、自分の気の緩みによる作業前の危険軽視によるものだった。
僕は製造業で働いており、一歩間違えば大きな事故が起こるかもしれない場所で働いている。
最近割と仕事が順調で、仕事に対する気のゆるみも出て来たこともあり反省させられた。
これがきっかけだった。
ただその出来事をきっかけに、その日1日起きること全てに勝手に落ち込んだり、自己嫌悪に陥ったりするようになってしまった。
「萎え期に突入したかもなー」と、自覚してしまったのもあるのかもしれないが、次の日も、またその次の日も小さなことで自己嫌悪に陥ってしまい、完全に萎え期に突入してしまった。
そもそも一般的に、萎え期と表現するのだろうか。
試しにTwitterで検索してみると、同じような意味で萎え期を使っている人を多く発見した。
同じように萎え期が訪れてしまう人は多いらしい。
思い返してみると、僕は高校生の頃から萎え期を自覚していたと思う。
高校生の時に「萎え期突入した…」などとTwitterでつぶやいたシーンをふと思い出した。
それにしても萎え期は定期的にやってくる。
人間の原理としてそうなるものなのだろうか?いつも絶好調にはさせてくれないのだろうか?
人間の原理だとすれば、なぜそんな仕様にしたのだろうか?
もしかして、陽キャや自己肯定感めちゃ高い人は萎え期なんて自覚しないのではないか?
そんなことを考えているうちに、自分の落ち込みやすい性格に嫌気がさして余計に萎えてしまう。
これは大変よろしくない。
萎え期の恐ろしいところは、終わりがいつ来るか分からないことだと思う。
まあ別に人間ずっと陽気でなくとも、少し萎え期があったほうが調子に乗りすぎることもないだろうし、また違った世界を観れるだろう。
僕も少々萎え期が訪れたところで、萎え期が訪れる自分が嫌いになる訳ではない。
だがこの萎え期は長ければ数ヶ月も続くところが怖い。
早ければ数日や数週間で過ぎ去る。
萎え期に突入したきっかけが小さかったりすぐ解決したり、何か良い環境変化があった等にもよるだろう。
だが長く続く時は本当に長く続いてしまう。
僕がよくあるのは仕事について。
- 自分にもっとスキルがあれば
- ついイライラしてしまった、嫌な人だと思われていないだろうか
- 周りと比べてしまい勝手に劣等感を感じる
- 人と話をするのが苦手
- 今一緒に仕事しているあの人あんまり好きじゃないな
- つい人の顔色を伺ってしまい気疲れする
- やっぱりこの仕事は自分に向いていないのではないか
もうこれらのループに陥ってしまうと抜け出せない。
何か環境が変わったり、きっかけがないとなかなか抜け出すことが出来ないのだ。
特に仕事というものは1日の起きている時間うち半分以上の時間を占めている。
その半数を占める時間が萎えるものであれば、私生活にも不穏な気持ちが侵食してきて幸福度が下がってしまうのだ。
後から振り返ると「この時期萎え期だったなー」と思うことがよくある。
それくらい長く続いてしまうこともあるので、萎え期と言うものは恐ろしい。
この萎え期から脱する方法は、良い気持ちの流れに乗ることだと思う。
萎え期はなにか悪いことをきっかけに、他の小さな出来事も嫌に感じてしまう時期。
そこから脱するには今度は逆に良い出来事をきっかけに、小さな出来事を喜べる時期に突入すれば、萎え期を脱することが出来るのではないだろうか。
波に乗ろうと波を読みながら立ちあがろうとするサーファーのように、大縄飛びの中にタイミングを伺いながら飛び込もうとするように「この出来事をきっかけに良い気持ちの波に乗れるかな」と小さくてもいいので良い出来事に目を向けられるようになればいい。
自分では気がついていないかもしれないが、気づいたら萎え期を脱している時は、自然と良い気持ちの流れに乗れていたからなのかもしれない。
萎え期が続いている人や、早く脱したいと思っている人は「良い波に乗れるきっかけ」となる小さな出来事を探しながら生活するとよいのではないだろうか。
もちろん、萎え期に入ると何もする気が無くなることはあるだろう。
そういう時は無理に動かずとも、少しでも自分の気持ちをリフレッシュ出来るように、だらだらしても、自分のやりたいことだけをしていればいいと思う。
萎え期はいつか終わりは来る。
良い波に乗れる日は必ずくるのだから。