ゆうまるらいふ

悩めるサラリーマンの頭の中

製造業で働く誇り

製造業で働く誇り

僕は今働いている会社があまり好きじゃ無い。会社というか、今の仕事内容が自分には合っていないなと感じる。そうは言っても嫌なことばかりでも無いし、運良くそれなりに大きな会社に入れたし「下手に転職しても後悔しそうな未来しか見えないから」とずるずると働いて、気付けば10年も経っていた。

 

今の時代「仕事が嫌なんて思うくらいなら辞めちゃえばいいのに、人生もったいない」なんて嫌な意見を浴びせてくる人もいるかもしれないけど、嫌なことはあってもそれなりに楽しいこともあったし、給料にはそれなりに満足しているから僕自身今はそこまで悲観していない。

とはいえこれまでも「本当に辞めようかな」と考えたことは幾度もあったし、今だに小さな失敗に落ち込んだり悩むこともある。だけど少しずつ、経験年数が増えていくごとに知識や技能が身について昔よりも仕事が楽しく感じられるようになってきた。

 

嫌だと思うことはあっても、なんだかんだ僕はこの仕事につけて良かったのかなと思うこともある。難しい仕事をやりとげた達成感だったり、みんなとわいわい仕事をしている時には楽しく感じることもある。でもそれだけでなく、自分がいるこの会社で働くことに対してもやりがいを感じることがある。会社で働いていて、その仕事にやりがいを感じられる人なんて少ないだろうし、実際自分の職場の周りでは会社の愚痴しか聞かないけれど、広い視野を持って考えてみると少しはマシな考えが出来る気がする。

 

それは僕の仕事内容がインフラ業界の製造業だと言うこと。人々が生きてく上でなくてはならない仕事をしていることに対して少し誇りというか、この嫌な仕事をしていても働く意義を少しでも感じることが出来る。

実際自分の仕事内容が直接インフラを支えているような実感は全く得られない仕事内容ではあるけれど、僕が歯車の一部になることで、社会が回る手助けをしているんだと考えるとまあ働く意味はあるのかなと思える。

 

近年社会では『人手不足』というワードをよく耳にするようになった。それは少子高齢化に伴う働き盛りの人口減少もあるだろうけど、それ以外にもいろんな業種の仕事が増えて働き手が分散化してしまったり、YouTuberをはじめとしたクリエイターや、フリーランスで働く人たちが現れ、会社に属する以外の働き方も増えてきたということもあると思う。

もちろんどの仕事もお金をもらえていると言うことは実際需要があって、社会の役にたっていることは間違いない。でもそういう人たちも含め、生活していくには食べるものや、使っている物、エネルギーは誰かが作ってくれたものだ。誰かがそれを作る仕事をしてくれなければ生活を営むことは出来ない。

 

社会を支えているのはそんないろんな人たちが働いてくれているからだ。スーパーやコンビニで働いてくれている人がいなければ僕は買い物を気持ちよく出来ないし、UNIQLOで働く人がいなければ、僕は安くて質の良い今の服を着れていないし、お惣菜を作る工場で働く人がいなければ、僕はスーパーのお惣菜に助けられることが無くなってしまう。そういった人々の生活を支えている仕事って細かく挙げればたくさんある。そういう人たちがいるから、僕たちは豊かな生活を送ることが出来る。みんながみんなクリエイターになったり、エンターテイナーになってしまえばみな生活は出来なくなるのだ。

 

仕事で嫌なことがあった時、この仕事が、会社が嫌に思えることもあるが、僕が働くことで社会が回るんだと考えれば、僕はこの仕事をするやりがいを少しは感じることが出来る。最近はFIREとか、自分の好きなことを仕事にするとか、新しい働き方が増えているけど、僕はこの社会を回すために働くことにやりがいを感じている。もしいつかFIRE出来る状態になったとしても、仕事は変えるかもしれないが、なにかしら社会のためになるところで働き続ける道を選ぶだろう。