今週は会社で朝の挨拶運動とやらを毎日やっていた。毎朝毎朝お偉いさんが『挨拶運動』の旗を掲げて立っている。いや、安全週間だったかな?興味が無さすぎて旗の内容まで覚えていない。
お偉いさんの中には普段顔も合わせない人もいて、正直誰が誰やら分からない。でも自分より上の立場なのは間違いないので、普段よりも5倍増しで大きな挨拶をしてしまう。こんな事で無駄に気力を使いたくないのだが、偉い人が立たれると「しっかり挨拶しなきゃ」と無意識に気を張ってしまう。真面目なのかただ気弱なだけなのか、自分のこの性格がめんどくさい。
無駄に気疲れするし、朝から迷惑な事だ。特に2度その場所を通るときに気を使わされる。普通に考えれば1度挨拶したからスルーすれば良いのだが、お互い顔も知らない人同士、「なんでこいつ挨拶しねえんだ」なんて思われかねない。
「いや、こっちは確実にあなたに挨拶した事を覚えているんですよ?しましたよね?」と内心思っているが、挨拶運動で立っている人は、もう朝から何人も何人もの人と挨拶しているわけで。朝からたくさん顔を見過ぎて誰に挨拶したのか分からなくなっているに決まっている。
だから勘違いされない為にも、挨拶せず無視して通り過ぎる訳にもいかないので最初みたいに5倍増しまではいかずとも、普通に挨拶するか、人がいれば後ろにサッと入り込みスーッと通り抜ける。なんで朝からこんな事しなきゃいけないんだ?
僕は昔からこの挨拶運動とか、やる意味が分からないものが嫌いだ。挨拶運動って、マジでやる意味あるんですか??
挨拶運動っていうものは大体の目的は交通安全とか、製造業なら安全週間とか、まあなんやかんや理由を付けてやっている。例えば交通安全として、はたして本当に挨拶運動をすれば交通事故が減ると思っているのだろうか?実際どこかで効果があったデータがあったんだろうか?
偉いおじさん達が「うーん、最近交通事故が多いから、事故を減らす為に朝から旗を掲げて挨拶運動でもしようじゃないか!」と目をキラキラさせながら会議しているとでもいうのか?本当にそれが良い方法だと皆が思っているのか?
まあそんなばかな事はないだろう...とは言い切れないのが悲しいところだ。日本の大人というものは、時に明らかに無駄だと思うことをさも名案かのように大々的にやりたがる。社会でよく見られる光景だ。大きな企業になればなるほど多い事例だろう。そんなことが起きるたびに「うちの会社はバカなんだろうか」と皆愚痴をこぼす。
まあ実際『悪しき習慣』という場合もあるだろう。朝早くから何十分も立ってたくさんの人と挨拶し続けているあの人達は、一体どんな気持ちで立っているのだろう。
「しっかり挨拶して交通事故を減らす為気を引き締めてもらうぞ」と本来の目的を達成するべく志を持って立っている人がどれほどいるのだろうか。おそらく大抵の人は「朝早くからめんどくせー」と思っているに違いない。いや自分だったら絶対思う。なんならなんとかして逃げれる口実が無いか考えたことだろう。
お偉いさんのおじさん達は意味の分からない無駄なことをやりたがるが、今後僕たちの年代がおじさんになった時に、これまでの経験を反面教師にして無駄なことをしない会社が作れるのだろうか。はたまた会社という組織に飲まれ、時代は繰り返されるのだろうか。
どうにもそんな気がしてならない。おそらく今後数年後、数十年後も組織の無駄な決まりや行いに対して「馬鹿じゃ無いのか」と愚痴を言い続けるのだろう。会社ってそんなもんな気がする。